このアプリケーションブリーフでは、CCSondemand を使用して予測した数百個の農薬化合物の CCS 値を実証します。
イオンモビリティー質量分析(IM-MS)は、イオンモビリティー分離(MS)と質量分析(MS)を統合した革新的な 2D 検出技法です。このテクノロジーは何十年にもわたる開発の間に成熟し、急速に現代の分析化学の最先端の分野の 1 つになっています。衝突断面積(CCS)は、IM-MS で化合物を区別するための重要なパラメーターです。CCS 値は、装置や実験条件に関係せず一定であり、定性分析での独自の利点があります。しかし、未知化合物の CCS レファレンス値がない場合に、未知化合物の CCS 値の予測が分析に付加価値を与えることができるかという疑問が生じます。
いくつかの CCS 予測ツールがパブリックドメインに登場しています。こういった CCS 予測ツールのほとんどは機械学習ベースであり、多数の実験による CCS 値を使用し、化合物の構造特性と組み合わせてモデルをトレーニングします。化合物の構造と CCS 値の関係を確立することにより、指定された構造の CCS 値を予測できます。
このアプリケーションブリーフでは、CCSondemand を使用して数百個の農薬化合物の CCS 値を予測しました。CCSondemand の正確度を評価するため、予測値を複数の実験分析で観察された平均 CCS 値と比較しました。さらに、公開されている CCS 予測ツールを使用して、同じ化合物データセットの CCS 値を予測しました。最後に、2 つの予測ツールを、予測の正確度と全体的な性能の観点から評価しました。これらのモデルにより、一般に公開されているモデルから得られる結果に匹敵する有用な結果が得られました。
ウォーターズは、IM-MS の主要な先駆者の一つとして、これが科学およびテクノロジーにおける、強力かつ永続的で包括的な革新能力を備えた、この最先端の分析領域での技術リーダーであり続けていることを実証しました。
20 種類の農薬が含まれている標準混合液(製品番号:186006348)を、50% アセトニトリルで必要な濃度に希釈して品質管理サンプルとして使用して、実際のサンプルでのデータ取り込みを行う前に、保持時間のモニタリングおよび調整を行いました。実際のサンプルは、何百の農薬が含まれている混合液です(以降「プールした標準サンプル」)。UNIFI 科学情報システムのスクリーニングワークフローを使用して、取り込んだデータを分析しました。このスクリーニングワークフローは、ポジティブイオンモード用の 500 種以上の農薬化合物とネガティブイオンモード用の 100 種以上の農薬化合物が含まれる、自作の高分解能タンデム MS スペクトルライブラリーに基づいています。定性的スクリーニングで使用する化合物特性には、精密質量、保持時間、プリカーサー/フラグメントイオンおよび理論上のフラグメントイオン(化合物構造に基づいて UNIFI によって自動的に生成)の構造式が含まれます。
すべての分析で一貫して検出された化合物について、複数回の注入で得られた CCS の平均値と相対標準偏差(RSD)を計算しました。次に、RSD が 1% 未満の化合物の平均 CCS 値を、CCS 予測ツールの正確度を評価するレファレンス基準として使用しました。
分離システム: |
ACQUITY UPLC I-Class |
カラム: |
XSelect HSS T3、2.5 µm、2.1 × 100 mm(製品番号:186006151) CORTECS T3、2.7 µm、2.1 × 100 mm(製品番号:186008484) |
カラム温度: |
45 ℃ |
移動相 |
水相(A) 5 mM NH4FA 水溶液 + 0.1% FA 有機相(B) 50% メタノール + 50% アセトニトリル |
MS システム: |
SYNAPT G2-Si HDMS SYNAPT XS HDMS |
システム分解能: |
感度モード 分解能モード |
システムキャリブレーション: |
質量軸キャリブレーション:ギ酸ナトリウム溶液 CCS キャリブレーション:主要混合液(製品番号:186008113) リアルタイムキャリブレーション(CCSLockmass):ロイシンエンケファリン溶液 |
データ取り込み: |
HDMSE 質量範囲:50 ~ 1000 Da HDMSE コリジョンエネルギー:低エネルギーオフ、高エネルギー 10 ~ 40 eV |
多くの研究チームが研究開発の取り組みの焦点を CCS 予測に当てており、その結果、複数の予測ツールがオンラインで利用できます。CCS 予測値を必要とする化合物に必要な入力情報は、個々のツールで異なります。一部のツールでは、各化合物の予測を行うために多くの種類の情報が必要です。オンラインで簡単にはアクセスできないものや、コンピューターの知識が必要なツールや、非公開のツールもあります。この試験では、公開されている CCS 予測ツール(匿名、以下「公開 CCS 予測ツール」)を使用しました。この予測ツールは、機械学習アプローチに基づいて開発されたものであり、ドリフトチューブイオンモビリティーや T-Wave イオンモビリティー技法によって得られた多数の実験的 CCS 値でトレーニングされています。このツールは、化合物の構造から、[M+H]+、[M+Na]+、[M+NH4]+、[M-H]- などの複数の付加イオンの CCS 値を予測します。
ウォーターズコーポレーションは、CCSondemand と呼ばれる CCS 予測の研究用プロトタイプのアプリケーションを開発しました。これには機械学習ベースのアプローチも使用され、そのモデルは、複数の装置(Vion および SYNAPT)で取得した多数の化合物から生成されたさまざまな付加イオンの実験的 CCS 値を使用してトレーニングされています。このツールを使用するために必要なことは、対象化合物の化学構造だけです。このツールは、mol、sdf、inchi、SMILE などの複数の化学構造の形式に対応し、5 種類の付加イオン(つまり [M+H]+、[M+Na]+、[M+K]+、[M-H]-、[M+HCOO]-)の CCS 値を予測できます。CCSondemand のユーザーインターフェイスが図 1 に示されています。
プールされている標準サンプル(何百の低分子農薬化合物を含む)のデータ取り込みを、複数回実施しました。表 1(ポジティブイオンモード)および表 2(ネガティブイオンモード)に示されている注入情報からわかるように、注入回数は、試験目的の制限のために若干変動していますが、多くの実験変数(つまり、MS 装置、MS 分解能、クロマトグラフィーカラム、取り込みデータ)は、CCS が堅牢で再現性のある分析パラメーターであることを示すために、意図的に変動させています。
自作ライブラリーからの 500 種以上の化合物を使用して、ポジティブイオンモードで取得したデータをスクリーニングしました。16 回のスクリーニング注入で 339 の化合物が検出されました。ネガティブイオンモードでは、ライブラリーの 100 を超える化合物を使用して、8 回のスクリーニング注入で 92 の化合物が検出されました。分析結果によると、31 化合物の一部の注入の CCS 測定値は、シグナルのオーバーロードのため正しく割り当てられませんでした。このため、これらの CCS 値は分析で考慮されず、却下された値の数は 1 から 6 の間で変動しました。図 2 に示されている RSD 値の分布から見ると、各化合物の残りの CCS 測定値の RSD は通常 1% 未満でした。
標準偏差(SD)は、極端に大きいまたは小さいグループ内誤差の影響を非常に受けやすいことで知られており、実験デザインの多様性の観点から、グループ内の測定値の不確かさと分散の程度の尺度として使用できます。複数の分析での CCS 測定値の RSD が小さい(1% 未満)場合、複数の分析から得られた平均 CCS は真の値に近いと予想されます。この仮定に基づいて、RSD が 1% 未満のすべての化合物の平均 CCS 測定値を保持し(以下「実験レファレンス CCS 値」、ポジティブイオンモード:339 化合物、ネガティブイオンモード:92 化合物)、その後の CCS 予測正確度の評価と分析のレファレンス基準にしました。
CCSondemand および公開されている CCS 予測ツールを使用して、ポジティブイオンモードで検出された 339 の化合物の [M+H]+イオンの CCS 値を予測しました。各 CCS 予測値を実験レファレンス値と比較し、相対偏差を計算しました。表 3 に、2 つの予測ツールによって予測された CCS の相対偏差の標準偏差(SD)、および対応する確率レベルがリストされています。これらの値の正規分布が図 3 に示されています。平均 ±1 × SD の範囲内にある正規分布分析に含まれる値の確率レベルは 68% です。つまり、一連の値の 68% が平均 ±1 × SD の範囲内にあります。同様に、値の 95% は平均 ±2 × SD の範囲内にあり、値の 99.7% は平均 ±3 × SD の範囲内にあります。
要約すると、表 3 に示されている結果と図 3 の正規分布から、次の結論が得られます:1)ポジティブイオンイオン化モードでは、いずれの予測ツールによって予測された CCS 予測値も、ほとんどは一定程度の定性分析のレファレンスおよびガイダンスとして扱う上で十分でした。2)公開 CCS 予測ツールの場合、化合物の 99.7% の CCS 予測値は実験レファレンス値と比較して相対偏差 ±10% の範囲内であり、CCSondemand の場合、化合物の 99.7% は相対偏差 ±5% の範囲内でした。言い換えると、CCSondemand では、図 4 に示す相対偏差分布で実証されているように、CCS 予測値と実験値の誤差が比較的小さいことが示されています。
さらに、339 の化合物の CCS 予測値と実験レファレンス値の間で線形回帰分析を実施しました。回帰曲線と対応する線形相関係数が、図 5 に示されています。データポイントの分布と線形回帰係数から、CCS 予測値と実験レファレンス値が良く適合していることがさらに示されました。
ポジティブイオンモードとネガティブイオンモードの両方で検出された 2 つの化合物(クロルスルフロンとヒドラメチルノン)が、それぞれ緑色と紫色のドットで強調表示されています。これらの例については、セクション「化合物データ分析の例」で詳しく説明されています。
同様に、ネガティブイオンモードで検出された 92 の化合物について、CCS 予測値、実験レファレンス値、予測の相対偏差の全体的な分析を実施しました。図 6 に、ネガティブイオンモードでの CCS 予測値と実験レファレンス値の線形回帰曲線が示されており、ポジティブイオンモードの結果と比較したところ、両方のモデルについて同様の性能指標が示されています。
化合物の同定を確認するために、同じ分析バッチからのポジティブイオンモードとネガティブイオンモードでのクロルスルフロンの生データおよび UNIFI による定性的分析結果(図 5 および 6 の緑色のドット)をレビューしました(表 1 の分析番号 16 および表 2 の 分析番号 8で例示)。示されているデータはすべて、XSelect HSST3 カラムを使用した SYNAPT G2-S i 装置の分解能モードで取り込みました。図 7 に、ポジティブイオンモードおよびネガティブイオンモードでのクロルスルフロンのクロマトグラム(左)と到着時間分布(ATD)(右)が示されています。同じカラムおよびクロマトグラフィー条件を使用したため、ポジティブイオンモードとネガティブイオンモードでの化合物のクロマトグラフィー上の挙動は類似していると予想されます。この仮定は、両方のイオンモードでの同じ保持時間とピーク形状によって検証され、さらにこの化合物が正しく検出されたことが確認されました。付加イオンが異なるため、CCS 値はわずかに異なっています。
表 4 に、左側にポジティブイオンモードで観察された複数回の注入から得られたクロルスルフロンの CCS 値、右側にネガティブイオンモードで得られた CCS 値が示されています。青色の値は、複数の分析から得られた平均 CCS 測定値、つまり前述の実験レファレンス値です。
ヒドラメチルノンのクロマトグラム、モビリティー分布、CCS 測定値(図 5 および 6 の紫色のドット)が、それぞれ図 8 および表 5 に示されています。データは、クロルスルフロン分析と同じデータセットに由来しています。図 8 に示されているように、ATD(ポジティブイオンモード)に重なり合ったピークが現れ、異性が原因であることが確認されました。
ポジティブイオンとネガティブイオンのイオン化モードでのこの化合物の ATD ピーク幅は大きく異なり、ポジティブイオンモードでの ATD ピークは明らかに広がっています。モビリティーヒートマップ(データは示されていない)により、広がりは主に多量のシグナルによるモビリティーピークテーリングに起因すると確認されました。
表 6 に示すように、CCSondemand と公開 CCS 予測ツールを使用して、調査中の両化合物の [M+H] イオンと [M-H] イオンの CCS 値を予測しました。
表 6 のデータから、以下の結論が得られます。
結論として、両 CCS 予測ツールでは、ほとんどの CCS 予測値は、定性分析のレファレンスおよびガイダンスとして用いるのに十分に正確でした。ただし、一部の化合物の CCS 予測値の正確度にはさらなる開発が必要であり、予測ツールの全体的な性能については、改善して完全なものにする必要がありますが、これは時間とともにそうなっていくことでしょう。
本実験では、研究用プロトタイプ CCS 予測ツール CCSondemand の全体的な評価を、さまざまな実験条件下での CCS 予測値の正確度の観点から行いました。評価は、試験サンプルとして用いた何百の農薬化合物に基づいており、複数回の注入によって取得した平均 CCS 測定値をレファレンス値として使用しました。CCS 予測にかかった時間は通常 1 化合物あたり 1 秒未満でした。結果を、公開されている CCS 予測ツールで得られた結果と比較しました。その結果、CCSondemand の CCS 予測正確度は良好であり、未知化合物の特性解析を改善する可能性があることが示されました。
科学者がイオンモビリティーの原理について理解を深めるにつれて、ハードウェアの革新が行われ、データ取り込みメソッドは絶えず更新されます。その結果、より大規模なデータセットを使用した分析実験が出現します。それとともに、CCS 予測の技法は成熟する可能性が高く、予測の正確度と信頼性は徐々に向上することが期待されます。最終的に、このような技法は、分析化学研究者にとって強力な定性分析ツールになる可能性があります。
720007021JA、2020 年 11 月